ぐにゃりと大地が曲がるような地殻変動で、国道や民家に大きな被害をもたらした、2000年の有珠山(うすざん)の噴火。
大量の噴石がビルや民家を直撃し、熱泥流がコンクリートの橋を押し流すほどの噴火であったにもかかわらず、なんと、1人の死傷者も出さなかったのです。
被災地区の住民は、なぜ、全員無事でいることができたのでしょうか?
今回は、「やさしい火山」と呼ばれる有珠山の火山活動や、それに応じた住民の避難行動をご紹介します。
有珠山噴火の災害遺構が見られる「西山火口散策路」「金比羅火口災害遺構散策路」についてもご紹介しますので、ご興味のある方は、ぜひ足を運んでみてくださいね。
目次
有珠山噴火で死傷者がゼロだった理由とは?
有珠山は、北海道洞爺湖の南側にある標高732mの活火山です。
過去の噴火口が見えるように登山道や展望台が整備され、ふもとには温泉街が広がることから、人気の観光地となっています。
しかし、ここ100年ほどの有珠山の噴火周期は、20~30年。わりと活発です。
そんな有珠山にふもとに、観光地があっても大丈夫なのでしょうか?
まずは、有珠山はどんな山なのかについて、簡単にご説明します。
有珠山はこんな山
有珠山の活動のはじまりは、約1万3,000年前と考えられています。
はじめは、富士山のような形をしていましたが、約7,000年前の大噴火で頂上が崩れ落ち、今のような外輪山※の形になったそうです。
※ 二重またはそれ以上の複合火山の、外側の火口縁
その後、数千年の長い噴火休止期間を経て、1663年に噴火を再開。
それ以降、2000年の噴火までに、9回の噴火が起こりました。
有珠山の噴火は、火砕物の降下や熱泥流、地殻変動をともなうことが多く、決して小さな噴火とはいえません。
2000年の噴火では、なぜ、「死者・負傷者ゼロ」を実現できたのでしょうか。
実はこの有珠山、噴火にある特徴があるのです!
「やさしい山」と呼ばれる理由
有珠山の噴火の特徴とは、噴火の時期が近づくと、「数日間の火山性地震」によって、地元の人々に噴火をお知らせしてくれる、ということです!
この、「数日間」というのが肝心なんですね。まるで、避難をするための時間を用意してくれているようです。
その「お知らせ期間」は、噴火によってまちまちで、ほとんどの場合、3~10日間。一番長くて6か月、短ければ32時間ということもありました。
そんな理由で、有珠山は地元の人から「やさしい山」「ウソをつかない山」と呼ばれ、有珠山が火山性地震をはじめたら避難をする、ということを繰り返して来たんですね。
2000年の噴火では、4日間のお知らせ期間(火山性地震)がありました。
内閣府の記録では、火山性地震の発生から3日で、重い病気の入院患者や1人暮らしのお年寄り、社会福祉施設の入居者をはじめとする、避難対象地域の住民約1万6,000人が、避難を完了していたとのことです。
すばらしいですね!
同じく、内務省の記録に、「住民の避難は大きな混乱もなくスムーズにおこなわれた」とありますが、なぜ、住民たちは、そんなに上手に避難ができたのでしょうか。
ハザードマップの理解が死傷者ゼロのカギ
有珠山の2000年噴火で、住民がスムーズに避難を完了できた理由には、次のようなことが考えられます。
1.ハザードマップ※が作成され、全戸に配布されていた
※ 噴火など災害が起きた際、その地域にどのような危険があるのかを記した地図
2.ハザードマップを事前に理解しておくことを住民に徹底し、住民がそれを理解していた
3.避難指示などの重要な情報を、気象庁や北海道庁などの正式なルート、および、マスメディアなど非公式ルートの両方を使って確実に伝達し、緊急避難を促した
噴火の予知情報やハザードマップがそろっていても、住民の意識がついてこなければ、「ネバド・デル・ルイス火山」の悲劇※を繰り返してしまいます。
※ 噴火のハザードマップがあったにもかかわらず住民に浸透せず、ハザードマップどおりの被害で死者・行方不明者が2万3,000人にのぼったコロンビアでの大災害
有珠山の2000年噴火では、「有珠山のホームドクター」といわれた北海道大学名誉教授の岡田弘氏、自治体、政府、そして住民が一丸となり、「死者・負傷者ゼロ」を実現させたといえるのではないでしょうか。
☆ONE POINT☆
以前は、活動していない火山は「休火山」「死火山」などと呼ばれていましたが、数千年にわたって休止していた活動を再開した例もあり、2003年、火山噴火予知連絡会は、「おおむね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」を活火山と定義しました。2017年6月時点、日本の火山は111山もあるそうですよ!
2000年の有珠山噴火の災害遺構
現在、北海道洞爺湖町には、有珠山の2000年噴火での災害遺構がそのまま保存され、その周りに散策路が整備されています。
ここでは、2つの散策路、「西山火口散策路」と「金比羅火口災害遺構散策路」をご紹介します。
西山火口散策路で地球の「熱」を体感!
まずは、西山火口散策路からご紹介します。
西山火口散策路では、地殻変動のあとがそのまま残されているので、「道路や家はこうなるんだ……」というのを目の当たりします。
こちらは、70mも隆起した町道。もとは平らだったそうですよ。
2009年に訪れた際、撮影したものですが、今にも、また大地が動き出しそうですね。
全員、助かっていると聞いていても、ちょっとドキドキします。
まだ、あちこちで噴気があがり、案内板にあるとおり、地面もあたたかいです。
西山火口散策路は、地球が生きている、ということを実感できるルートです。
片道35分ですが、できればもっと時間をかけて、じっくり地球のパワーを堪能されることをおすすめします!
熱泥流の怖さを目の当たりにする金毘羅火口災害遺構散策路
金比羅火口災害遺構散策路は、西山火口散策路のように、地球のパワーを感じてドキドキする、というよりは、熱泥流の怖さを実感できる場所、という感じです。
こちらは町営公衆浴場「やすらぎの家」。熱泥流の直撃を受けたそうです。
噴火の前年に修復したばかりだったそうですよ。立ったまま枯れてしまった木が、なんだか寂しいですね。
こちらは、熱泥流で国道230号線から押し流されてきた橋。
桜ヶ丘団地の2階部分にぶつかったそうです。団地の2階には、確かに当たったようなあとが。
このようすを見ると、「2000年噴火は犠牲者ゼロ!」と、手放しで喜べませんね。
2000年噴火での住宅被害は、全壊234戸、半壊217戸。北海道、及び市町村の被害金額は、約103億円だったそうです。
被災された人々も、おそらくは多くの財産を失ったのではないでしょうか。
現在、2020年。2000年噴火から20年が経ち、次の噴火の心配が頭をよぎります。
次の噴火では、死傷者ゼロはもちろん、財産被害も、どうか限りなくゼロに近くなりますように。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、1人の死者・負傷者もださなかった、2000年の有珠山の噴火をご紹介しました。
約1万6000人もの住民の避難がスムーズにおこなえた理由は
□ハザードマップが全戸に配布済みだった
□住民がハザードマップを理解し避難の心構えがあった
□避難時、信頼できる避難情報が確実に住民に伝わった
ということでしたね。
ハザードマップは、各自治体の役所や施設でもらうことができますよ。
自治体のホームページからダウンロードできる場合もあるので、お住まいの自治体のホームページを、ぜひ一度、チェックしてみてくださいね!
【出典】
◆流路工(護岸・床固)の仕組みと役割/国土交通省 東北地方整備局 福島河川国道事務所
◆19. ハザードマップが活かされなかった噴火泥流災害 -コロンビア・ネバドデルルイス火山の1985年噴火-/国立研究開発法人 防災科学技術研究所 自然災害情報室
◆噴火災害教訓情報資料集「第2期 事前対応期(3/27の前兆現象〜噴火まで) 2.事前避難」/内閣府
◆『防災士教本』/認定特定非営利活動法人日本防災士機構
◆『有珠山西山火口散策路』リーフレット/北海道洞爺湖町
◆『有珠山金比羅火口災害遺構散策路ガイド』リーフレット/北海道洞爺湖町
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