2020年12月 書評テーマ【ロマンティック】

ここは架空老舗書店の「晴天書房」。

看板娘のあんずと常連客が、あなたの本選びをお手伝いします。

 

 

晴天書房の常連たち

ぐっち
その一瞬が生涯の記憶に残る―そんな恋愛を描いた作品に惹かれる。『燃ゆる女の肖像』は絶対に観る!

マロン
単語の一つひとつにうっとりするような、美しい文章の小説を愛す。幻想的で、ちょっぴりダークだとなおよし。

ヤミー
文案家を生業にしているので、手紙や葉書も書きたい方だけれど、悪筆なのでロマンチックの欠片もないのが難。

 

あんず
あんず
こんな常連さんたちがセレクトする「ロマンティックな一冊」とは?

 

手紙、はがき、公衆電話…、
その距離感の恋を、もう一度!

イラストレーター・わたせせいぞう氏が描く、大人の恋の物語。1980年代の都会に生きる男女の、出会い、別れ、再会…といったさまざまな恋模様が、各話4ページのオールカラーで美しく仕立てられている。
好きなのに気持ちを伝えられなかったり、憧れていた女性から結婚式の招待状が届いたり。かつて“結婚適齢期”というものが強い力をもっていた時代、人生の大きな分岐点に立たされた男女の微妙なタイミングのズレが切ないけれど、「お互嫌いになって別れるのではないから、再び出会ったらきちんと挨拶をしましょうネ」(「1/3の確率」)なんて会話は、やさしさとほんの少しの希望があって、いいなと思う。

読んでいて楽しいのは、描かれている時代は今よりずっと恋愛のツールが豊富だったこと。主人公たちはよく電話をかけるし、手紙を書いたり、道の反対側で見かけたら大声で相手の名前を呼んだりする(そしてすれ違ったり)。その手間ひまと情熱、つかまらないことが当たり前だった距離感が、今ではとても新鮮に映る。(別れる彼への最後のプレゼントを入れたロッカーのキーを渡すとか、時代だなあ!)厳粛な“区切り”を前にした主人公たちのビターな駆けひき。再読すると現代とのギャップに、ロマンスがより際立って見えます。

あんず
プレゼントが入ったロッカーのキー…!BGMに山下達郎のクリスマス・イブを流しつつ開けにいきたいです。

 

別れてしまった男女の想いが、
錦繡のように織りなす物語。

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神戸在住の宮本輝さんにエッセイの依頼をしたのは、「蛍川」で芥川賞を取られた直後のことでした。小さな企業の小誌でしたが、そのページの前月号は深作欣二監督で、原稿料が安いのに稀有な人選だったと1970年代後半の熱っぽさを思い出します。

さて、宮本輝さんの「錦繡」は、情動に沁みるように心が揺さぶられました。物語は神戸山手の香櫨園に住む元妻が、10年ぶりに偶然再会した元夫に宛てた手紙で始まります。全編が手紙で構成されている書簡体小説で、その上品な文体が妻の氏素性を物語り、元夫の人生を捨てたような裏ぶれた感じとの対比、書簡のやり取りを重ねるうちに離婚してしまった二人が、相手を深く愛し気遣いながらも、それぞれの再婚相手との人生を選んでいく切なさが胸を打ちます。「蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした。私は驚きのあまり、ドッコ沼に着くまでの20分間、言葉を忘れてしまったような状態になったくらいでございます。」で始まる冒頭から、すれ違ってしまった人生が、蔵王を染める錦繡のように静かに美しく語られます。12月は気忙しいけれど、暮れの切なさも漂います。大人の恋にしみじみしてみてはいかがでしょう。

あんず
タイトルからは難しそうな印象を受けますが、読み始めるとするすると…夢中で読み進めてしまいます。

 

恋の予感にうっとり…そんな時が一番幸せなのかも

とても淡く儚い、恋とも呼べぬような恋の話をたくさん残した尾崎翠。明治から昭和にかけて生きた女流作家です。その全集から「花束」という物語を紹介します。

追憶を「人生の清涼剤」と呼ぶ主人公が語るのは、ある幸せな恋の思い出。海辺の田舎町で教師をしている主人公は、ある日生徒たちと入り江に泊まった汽船を見つけます。勝手に船に上がって行ってしまった生徒たちに置いてきぼりにされる主人公。すると甲板に、浅黒い肌、端正な顔立ちの船乗りの青年が現れ、主人公も上がってくるよう誘います。なんとなく行動に移せないでいるうちに生徒たちが帰ってきてしまい、明日もきっと来ると約束するのですが…。儚かったからこそその恋は心から消えず、幸福な追憶となって残り続けます。

他にも全集には、歯がゆくセンチメンタルで、純情な雰囲気を漂わせる物語が多数。例えば架空の恋人を心の中に持ち続けた詩人と、今は亡きその詩人に恋した女の子の話。冒頭に「私はひとつの恋をしたようである」と言いながら、最後にやっと恋に落ちたらしきシーンが出てくる話。主人公が地味で夢見がちな女子ばかりなところも、ネクラな少女だった私はなんだか親近感を覚えるのです(笑)。

あんず
尾崎 翠の作品は「少女漫画の原点」といわれているそうで、あの太宰治も絶賛したのだとか。

 

深夜2時、19年前に別れた
彼女の声が電話から流れる。

「人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない。なぜなら人間には記憶という能力があり、そして否が応にも記憶とともに現在を生きているからである」と、最初の1ページがストンと腑に落ちてこの小説を読みました。記憶を沈めておく巨大な湖の底には、失われたはずの無数の過去が沈殿していて、あるとき不意に忘れ去っていたはずの記憶が、湖底からゆらゆらと浮かび上がってくるとも。激しく納得してしまったのは、亡くなった母の記憶、別れてしまった恋人、思い出したくもない先生、最初に勤めた会社の上司や同僚など、とっくの昔に忘れていたと思った人が、ほんと突然にフラッシュバックすることって実際に体験するから。

主人公の山﨑は41歳、アダルト雑誌の編集長をしている日常の中で、突然、19年前の恋人から電話をもらいます。時が隔てても忘れていなかった彼女の声、その頃の記憶が鮮明に甦り、現実の彼女との話と交錯しながら物語が進みます。アダルト雑誌の編集社内は、同僚の設定も一癖あって面白く、セクシーな描写もあるけれど、愛するということを潔い文章で書き綴っていて好感が持てました。水槽の中のパイロットフィッシュは、高級魚の水質をチェックするために放たれ、用済みなったら処分されたり、食べられたりする魚、なんだか切ないですね。

あんず
出会いと別れの切なさ、人間の感情が生み出す永遠が淡々とつづられています。

 

紹介した本まとめ

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あんず
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