1995年、岐阜県の白川郷と同時に世界遺産に登録された富山県の五箇山。
茅葺き屋根にふかふかと雪をのせた冬景色は、民話のような情緒がたっぷりで、真冬も人気の観光スポットとなっています。
それでは、五箇山のおすすめ観光スポットをご紹介します!
……と、言いたいところですが。
今回は、五箇山が紡いできた「厳しい歴史」について、お伝えしたいと思います。
さらに、五箇山集落のみなさんからの、「観光時のお願いごと」も、あわせてご紹介。
「なんか、むずかしい話……!?」とかまえずに、どうぞお気楽にさっくりと読んでください。
そして、いつか五箇山に観光に行かれたら、五箇山が大変な思いで暮らしをつないできた集落であること、現在は観光地となり住民のみなさんにストレスがかかっていることを、チラッと思い出していただければと思います。
目次
「鳥も通わぬ」五箇山の歴史
今のように便利な道路ができるまで、五箇山では「あえて」道や橋を通さず、山に囲まれた閉ざされた土地となっていました。
さて、いきなり謎がでてきましたね。
五箇山はなぜ、道を作らなかったのでしょうか?
その理由を、五箇山の歴史とあわせて見ていきましょう。
落ち武者伝説の残る閉ざされた集落
五箇山では、縄文土器が出土していることから、約4000年前(縄文時代後期)にはすでに人が住んでいたと考えられています。
その頃の人々は、狩猟や採集をして暮らしていたので、五箇山のような山間部のほうが、かえって生活に向いていたのかもしれませんね。
その後、平安時代には、源平合戦に敗れた平家の落ち武者たちが、山深いこの地に「隠れ住んだ」と伝えられています。
正式な史実にはないものの、落ち武者にまつわる多くの言い伝えが残されているため、五箇山は「落人のかくれ里」とも言われているそうですよ。
確かに、その辺り一帯は山に囲まれて、なんとな~く閉塞感のある感じ。
私が訪れた際も、人が少なく、ひっそりと寂しい雰囲気だったので、「隠れ里」という言葉はしっくりくるな、と感じました。
米の代わりに年貢として納めたもの
五箇山は、山間部であることからまとまった米がとれず、養蚕、和紙、塩硝(煙硝)などでお金をつくり、加賀藩に年貢を納めていました。
塩硝に関しては、加賀藩が直接買い上げることもあったそうですよ。
塩硝とは、鉄砲に必要な黒色火薬の原料のこと。
五箇山で作られる塩硝は質が良く、他では見られない製法で作られていたそうです。
五箇山で塩硝が作られていた理由は、塩硝を作るために必要な、蚕の糞、ヨモギの葉、ウドの葉などの材料が、手に入りやすかったから、と言われていますが、これには別の説もあるのです。
それは、加賀藩に塩硝が納められていることが幕府にバレると、謀反を疑われてやっかいなので、往来の閉ざされた山深い五箇山の、しかも合掌造り家屋の「床下」でコッソリと作らせた、という説です。
どちらかというと、この説の方が有力のようですね。
手間も時間もかかる塩硝づくりですが、これがあったからこそ、加賀藩によって五箇山の集落が守られていたのではないかと、とも言われています。
また、加賀藩では、塩硝づくりの秘密を守るため、五箇山に対して、ある施策を行ないました。
次は、その施策についてご紹介します。
加賀藩が五箇山を流刑地に選定
加賀藩は、五箇山を罪人の流刑地として定め、罪人の逃亡防止を理由に、川に橋を架けることを許しませんでした。
罪人は「籠の渡し※」で五箇山へ送られ、御締(おしまり)小屋や平(ひら)小屋へ入れられたそうです。
※ 川の両岸の木に綱を渡し藤蔓などで編まれた籠を吊して川を渡る手段。菅沼合掌造り集落の「五箇山民俗館」で籠のレプリカを見ることができる
平小屋入りの罪人は、集落内なら出歩いてもよかったそうですよ。
他の村に続く道や橋が無かったので、逃げようがなかったんですね、きっと。
それにしても、床下でこっそり塩硝を作らされ、それを隠すために橋も架けてもらえず、集落が流刑地に指定されて、流されてきた罪人たちは村をうろうろと出歩いているって、想像すると過酷な状況ですよね。
落人伝説が本当だとしたら、集落の住民たちは、その子孫ということでしょうか。
ここまで逃げ延びて、なんとか後世に命をつないだ落人さんたちも、これでは心が安まらないなぁ……と、ちょっと切なくなりました。
ちなみに、「出歩くことが許されている罪人は罪も軽く村人との関係も良好だった」「加賀藩は五箇山の人々の生活を保護し、商売では特別扱いすることもあった」など、ちょっと救われる説も。
五箇山の人々と罪人と呼ばれる人の関係が良好だったという説は、五箇山の「お小夜節」の元となるお小夜さん伝説からも分かります。
1~2分で読めますので、よろしければ、こちらのブログも参考にしてくださいね。
◆『お小夜さんのはなし。』アメブロ/わたなべ きい
五箇山を観光するときに思い出して欲しいこと
五箇山での暮らしを一生懸命に守ってきた住民の皆さんは、1995年の世界遺産の登録に、さぞかし喜ばれているのでは?と、思ってしまいそうですが。
私が見た感じでは、すべての人がそう思っているわけではなさそうでした。
ここでは、世界遺産に登録されている2つの集落の皆さんからのお願いごと、そして、合掌造りの民家を見学する際に気にかけて欲しいことを、お伝えします。
菅沼合掌造り集落からのお願い
菅沼合掌造り集落のパンフレットに載っている、住民の方からの「お願い」を5つ、ご紹介しますね。
【ゴミは捨てない、持ち込まない】
集落内にゴミ箱は設置されていません。ゴミは持ち帰りましょう。
【火気厳禁!】
合掌造りは火に弱い建物。集落内は火気厳禁です。喫煙所を設けてくれているので喫煙される方はそちらを利用しましょう。
【自然を大切に】
植物や生きものを持ち帰らないこと。五箇山だけではなく持ち帰った先の生態系に影響することもあるので絶対に持ち出さないようにしましょう。
【私有地に入らないで】
田んぼに入ったり民家の居住スペースのドアを開ける人がいるそうです。注意書きがなくても敷地内には入らない、勝手にドアを開けないようにしましょう。
【トイレは決まった場所で】
この注意書きがあることに驚愕しています。お手洗いは設置されているのでそちらをお借りしましょー……(遠い目)。
相倉合掌造り集落からのお願い
次は、相倉合掌造り集落のパンフレットにある「お願い」5つです。
【集落内は禁煙】【生活範囲に入らないで】【ゴミは持ち帰って】の3つは菅沼合掌造り集落と同じなので、あとの2つをご紹介します
【早朝、夕暮れ以降は遠慮して】
住民の方や、民宿に泊まって静かな夜を過ごしたい方のためにご協力を。
【住民の車に道を譲って】
テーマパークと勘違いしてしまいそうですが、観光中に歩いているのは生活道路です。歩行者は、できるだけはしを歩くようにしましょう。
五箇山での話ではありませんが、白川郷の道を歩いていたとき、かなりのスピードで、地元の方の車が観光客の横を通りすぎました。
道路の真ん中を広がって歩く観光客に、地元の方はイライラしているのではないかなぁ、と感じました。
よけてくれる車もありますが、観光の際、車が通る大きな道は、はしを歩いた方が安全だと思います。
民家を見学する際の注意点
五箇山では、岩瀬家、村上家など、合掌造りの民家を見学することができます(有料)。
私は、岩瀬家へおじゃましましたが、玄関で受付を済ませたら、なんと、当主の方がいろり端で合掌造りの説明をしてくださるんですよ!
「説明係のおじさん」ではないので、きちんと挨拶をして、お話を聞きましょう。
説明が終わると、各自で自由に見てまわることができます。
入ってはいけない居住スペースがあるので、まちがって扉を開けたりしないように注意したいですね。
「扉を開けたら、家族でごはんを食べてた~!」なんて、笑い話にしている人もいますが、それが本当なら、住民の方には、かなりストレスになるのではないでしょうか。
自分が開けないことはもちろん、帰ってから家族や友達に話すときには、ぜひ「合掌造りのお家には今でも人が住んでいるので、見学のとき生活スペースは開けちゃダメなんだよ~」と、教えてあげてくださいね。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、富山県の合掌造り集落「五箇山」をご紹介しました。
何百年ものあいだ、そこに建ち続けている合掌造り家屋の姿は、どっしりと威厳があり、「強くて、やさしいおじいちゃん」という感じがします。
厳しい時代を越えて、今、訪れる人々をほっこりと癒やしてくれる、五箇山集落そのもののようですね。
のどかな田園風景が広がるこの集落には、大変な時代があったということ、現代も住民の方々の「静かな暮らし」が脅かされていること。
五箇山を観光される際は、これらのことをちょっと思い出して、プライベート空間に入らない、村を汚さないようにしていただけるとうれしいです。
世界に誇れる「世界遺産・五箇山」の風景と、集落の人々の暮らしを、みんなで守っていきましょう!
【データ】
◆五箇山観光公式サイト「五箇山彩歳」/五箇山総合案内所
【出典】
◆歴史と文化を知る/五箇山総合案内所
◆五箇山合掌 かくれ里物語とは/五箇山かくれ里物語実行委員会(南砺市商工会内)
◆『五箇山』を旅する前に知りたい10のこと。/VISIT富山県
◆五箇山/JAPAN WEB MAGAZINE
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